花火のふる里

(片貝の黎明)轟然、爆然二千尺の中空において一大蜃気楼を現出す月世界はいざ知らず全世界において我が郷の右に出る処なし・・・・・・と百数年前の番附に記されて居り、又貴重な片貝の文献(二百数年前に著された)「やせかまど」にも相当前から盛大に花火が打ち揚げられているように記され・・・・・・中央煙火界の文献にも三尺玉発祥の地、一面花火発祥の地とも記され煙火片貝の名声は全国煙火界に知れ渡っております。
 明治二十四年に三尺玉を打揚げて(日本最初)より百八年、年を追うごとに活況を呈し、予想以上に盛大となり、年々前年を上回る規模とともに内容の充実したものになりました。
 玉送り、筒引きの行事は全国に例のないもので戦国時代の質実剛健の気風を現在に至るまで持ち続け、文化財的存在として各方面からその価値を高く評価されております。

(町民向け、奉納煙火寄付お願いより抜粋)

田園風景が広がる、緑豊かな片貝町
花火は向こうに見える山腹より打揚げられます。
中央に赤く見えるところが桟敷席、左端の緑の屋根は片貝中学校。

本田善治翁胸像(左)
昭和55年片貝煙火工業を設立、昭和57年三尺三寸玉、昭和60年に四尺玉の打揚げに成功し、片貝花火の名声を国内外に広く浸透させた功績者。
三尺三寸玉打揚記念碑(右)
昭和57年9月10日永遠会(18回卒)の皆さん奉納による世界初三尺三寸玉の打揚げが成功。記念碑は翌58年(1983年)建立、背面には100年後の2083年開封のタイムカプセルが組み込まれている。

伝統のまつり屋台 約45年ぶりに再建!
明治22年以来、片貝まつりの伝統である「奉納煙火筒引き」と「祭り屋台」による巫女爺や芸妓の踊りなどの賑行事が、若者衆によって引き継がれてきました。昭和に入り一時中断し、戦後、昭和22年に復活したが、その後歳月の経過ともに老朽化したため、昭和34年を最後に無くなり現在に至る。平成15年度の祭り後、片貝煙火協会の片貝まつり祭屋台再興委員会が、約45年ぶりの復活再現をめざし製作を開始。
この屋台は2階建てで、かつてと同じ1階はお囃子、2階は踊りや巫女爺などが演じられるようになっている。 全長:5m、高さ4.45m
写真は平成16年祭り当日、片貝煙火協会(旧ふるさと会館)脇にて撮影


新名所! 煙火筒モニュメント
四尺、三尺三寸、三尺、二尺、尺、七号〜三号までの9本の煙火筒モニュメント。
「花火と職人のまち」の活性化を願って完成、平成14年8月7日バイパス開通記念も兼ねて除幕式が行われる。記念写真を撮影できるお立ち台もあり、夜間にはライトアップもされます。片貝まつりの記念に是非お立ち寄りください。
(浅原神社より徒歩5分、片貝郵便局並び)

こんなところにも「花火のふる里」らしさ、カンジます!
これは何でしょう!?そうなんです、マンホールの蓋なんです。よ〜く見ると筒引きや花火など、まつり風景が描かれています。片貝に来られた際には見て下さいね。
交通安全標語看板ももちろん花火にまつわるものです。
浅原神社参道入口左側に設置 片貝小学校入口前横断歩道横に設置

番外 12月31日夜11時45分から順次打ち上げ 除夜の花火
寺社で大晦日から打ち鳴らされる108打の「除夜の鐘」、そう片貝町は浅原神社の除夜の鐘ならぬ「108発の花火」で新年へのカウントダウンが始まります。小玉が中心ですが、0:00には小スターマイン(笑)が上がりNewYearを迎えます。「花火のふる里」らしいでしょっ?

Copyright(C) 2000-2004  あだっち. All rights reserved.